「日野台地の地質と地下水」
角田清美(都立北多摩高校)
<報告>
1.「水循環について」
水循環で大事なことは、天と地はつながっている、ということ。都立青梅農業高校時代の地下水位と雨量、地下水温と気温の観測データが出発点。秋留台地での井戸調査により地下水位面図を作成。消防研究所の細野先生が武蔵野東部以東を研究されていたので、武蔵野西部以西や日野台地を調べた。この地域の地質構造や地下水調査の方法について概論された。
2.「日野台地の地下水」
明治15年頃の土地利用は水がないため集落もほとんどない。それが原風景。明治22年に甲武鉄道が敷かれた後も台地上に住む人は少なかった。その後日野自動車が軍事工場として進出、地下水が豊かだったことと、台地の上で覗かれないことがその理由。この近くに泉塚という地名が見られ、台地上にも湧水があったことが分かる。
日野台地は4段の河岸段丘となっており、地下水を入れる器となっている。日野面、多摩平面、豊田面、石田面、多摩川低地となっている。ロームは立川ローム(富士山)、武蔵野ローム(箱根山)、下末吉ローム(13万年前)で構成されている。地下水位調査は、井戸の同時一斉調査で行ったが、現在では井戸の数が半分以下に減っており、もう同様の地下水調査はできない。地下水は段丘面ごとにまとまっており、北八王子駅付近を中心に扇状に広がっている。台地面が市街化したことにより、地下水は減ってきている。
<質疑と補足>
日野台地の形成史について:はじめは半島状に多摩川の礫による洲ができて、次に浅川が多摩平段丘面をつくり、さらに南下した。東光寺付近は3段の段丘が重なった状態。黒川は多摩平段丘面ができた後に湧水の下刻でできた川。同様の形成は羽村や福生付近でも見られ、羽村では野水による水道(みずみち)を避けたやや高いところにまいまいず井が掘られている。福生ではその水道がどぶ道となり飲み屋街になっている。低位段丘面が逆傾斜になっている例は野川でも見られる。
前回の研究会で議論となった浅川伏流水説について:資料の断面図から、豊田面では上総層群の水が関係しているとみられる。黒川の清水谷公園の湧水が30年の間に2回涸れたことがあるという点について、地下水位面図から流れが北からであることが分かり、日野台面では浅川と関係しないと見てよい。
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