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第3回 日野プロジェクト勉強会
テーマ:「日野の農業・農業用水路の行方」

日時:2006年10月3日14:00〜17:00
場所:法政大学小金井キャンパス都市デザイン室演習室

 

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報告者: 水口 均(JA東京みなみ地域振興部)
テーマ:「日野市農業の現状」

 日野市では平成10年に全国に先がけて農業基本条例ができたことにより注目を浴びたが、最近まで実は機能してなかった。平成16年第2次農業振興計画ができたあたりから実質的な動きが出てきた。
 日野市には農業用水路として用水路が残っており、幹線については全部残っているが、水田自体はなくなってきている。水路は残したのはいいがそれをどう活用していこうかというのはこれからである。田んぼがないところは市が管理しているが、田んぼのある地域では用水組合があり、その組合員が普段の管理をしている。

生産利緑地制度と農業
 農地面積の変化の表をみると(表1)、昭和45年というはまだまだ田んぼがたくさんあったが、そのあと工業化し、一旦減り60年代のところ区画整理のあとに田んぼに戻ったり畑に戻ったりというのがあるが、そのあと徐々に減っている。生産緑地の指定面積は再指定が始まってかなり増えている(表2)。生産緑地制度は本来都市計画法に基づくもので、農地をもともと残そうという制度ではなかった。制度内容が分かりづらかったということもありはじめは指定はそんなに多くはなかったが、制度を進めていくうちに、税金面でかなり有利であるというのが分かり、再指定が始まり、一気にまた増えた。その後減っていっているのは相続による減少である。
 次のグラフは就農者の年齢構成で(表5)、センサスの数字である。平成7年、平成12年、平成17年の3つの年の年齢構成をグラフ化した。担い手として中心的なところが増えないまま上が増えていくということで、これからこのことが問題になるだろうと思う。

農家と消費者の意識のずれ
 消費者は見てくれで買う人が多い。その結果として消費の要求からまずい野菜が増えた。季節感のない物が出てきてしまって、それは消費者が求めたからということになる。
 また消費者が求めて残留農薬の最低基準制度であるポジティブリスト制度というのができたが、これは農業者に非常に大きな足かせになっている。今農家の人たちは非常に大きな負担の中で農業をせざるを得なくなってきている。これだけ手かせ足かせが増えると、農業をやるのが嫌だと思う人もたぶん出てくる。そして相続というような別の足かせで、税金を払うということが出てくるとやはり辞めてしまおうかなという人も増えてくる。特に税金の高い都市部の農家の人はそういうことが多くなってくる。農家と消費者の意識の違いというのを我々がこれから訴えていかなければならない。

*詳細は2006年度末報告書「水の郷・日野/用水路再生へのまなさし」に掲載

[表1 農地面積の変化(日野市)]
[表2 生産緑地面積の変化(日野市)]
[表3 販売農家数の変化(日野市)]
[表4 農業者の年齢分布(日野市)]
[表5 就農者年齢構成の変化(日野市)]
 

報告者:小林和男(JA東京みなみ 七生地区青壮年部 「農の応援団」代表」)
テーマ:「日野農業の保全のためのさまざまな試み−食農教育にこだわって−」

 農業宅地保全、農業のよりよい環境のために農業を理解してもらうことが大事だと考え「学童農園」や「農の応援団」など行っている。東京という大消費地の中にある私たちの農業は、地産池消を実践することが容易であると思われがちだが、実際は宅地開発によって住宅に囲まれた小さな畑が点在している環境で、農家と一般消費者との距離は大きい。現在、平成17年人口171,000人対し農業従事者は1,696人で、日野市人口の約1%である。住宅が増え、農業とは縁のない人が農地を囲んでいる。耕地面積は平成15年には230ha(田37、畑193)だが、平成17年には208ha(田25、畑183)に減っている。
 「学童農園」をはじめたきっかけは学校給食で、栄養士が各学校に1名配置され、地元野菜を使って給食をつくることに大変熱心で、日本一美味しい給食、理想の給食といわれる。学校給食に地元野菜を活用して23年が過ぎた。はじめた頃には「地産地消」「スローフード」などという言葉もまだ聞かれなかった。栄養士さんから黒米が手に入らなくなったという話があり、古代米づくりがはじまり、田植えや稲刈りだけでなく、地域の子どもたちに「農」を知ってもらうために、学校の授業の中で「農業」を取り入れてもらい、自分たちで育て収穫したものを学校給食で食べてもらうことにした。それがきっかけで、学童農園へと発展してきた。父母の方々にも地域にある農家や農業を知ってもらい、地産地消につなげる為の話もできるようになった。
 栽培を始めるにあたって、学校ごとに行政、JA、指導農家とで話し合いの場を持ち、子どもたちでも安全に管理ができる作業方法を考えた。脱穀も昔ながらの足踏み式でやり、収穫時には古代米によるさまざまな食べ物づくり、餅つきや古代米をいれた赤飯をつくり、全児童に試食してもらう。古老に指導してもらい父兄も一緒にわら草履やしめ縄、リースなどわら細工づくりもする。子どもたちは1年間農家になったつもりで農業の大変さ、無駄のなさ、食料を大切にする気持ち、天候や自然環境を学ぶ。この取り組みの後、子どもたちは学校の行き帰りに、畑で作業している私たちに気軽に声を掛けてくるようになり、田畑にゴミを投げ入れたり、イタズラしたりするようなこともなくなり、逆に農産物に興味を持つようになる。これらは学校と先生、親の理解と協力がなければ出来ないことである。活動の輪が広がりつつある。
 そのほかに日野産大豆プロジェクト、そばづくり、ゴマづくり、短期の場合はラディッシュなどを栽培する。まぼろしのおコメである平山陸稲も4年生が栽培し、薪を使いお釜でご飯をたく。平山台小学校では心障者学級と交流しリンゴの収穫をしているが、1年を通し観察や袋かけなども行う。これらの活動は長く続けていくことが大事である。
 学童農園は農家の自主的な活動で、市からは費用はでていない古代米の販売などの収益を活動費にあてている。
 今後の課題として、住宅の回りに建ち並ぶ中での都市農業は、消費者が安心して農産物を購入することができる「見える農業」を今以上に進めていく必要がある。食育の間にJAを入れて「食農教育」、これからもこの事業にこだわり続けていくことが、都市農業の使命だと思う。

*詳細は2006年度末報告書「水の郷・日野/用水路再生へのまなさし」に掲載

 

報告者:深澤 司(東京都農業協同組合中央地域振興部審議役)
テーマ:「都市農業の意義」

都市農業とは何か
 都市農業というのは、農水省が平成11年の7月新しく「食料・農業・農村基本法」をつくり、その36条の2項の中に、「都市及その周辺の農業」という言い方をして都市農業を一応定義している。市街化区域の中の農業というのが都市の農業ではないのかと私は思う。農水省の施策としては災害復旧程度で長期の融資もやらない。一方、建設省は、線引きをした市街化区域の中は、全て宅地という扱いだと断言した。
 都市の農業について平成5年に実施したアンケート調査がある。その当時、農地を保全すべきだと答えた人が7割歩ほどいた。平成16年の調査では、9割の人が農地を残して欲しいと答えている。平成16年には、「今ある農地は全て残してほしい」というのが41%。「一生懸命やっている農家の農地は残してほしい」というのが48%である。農地に期待することは何かというと、新鮮な農産物の生産をしている場所がトップにきている。緑や景観、自然環境を維持するために必要だ、期待するが42%、それから子供の教育や農業体験の場が20%。この3つくらいが、市民の農地への期待である。

農地と制度の問題
 農地の固定資産税は、生産緑地に指定すると農地評価、農地課税になる。生産緑地でない農地は、同じ面積で固定資産税と都市計画税が宅地としてかかる。相続の時には、農地に限って相続税の納税猶予制度がある。その制度を使えば、農業投資価格10aあたり100万円として評価するが、生産緑地でないと猶予制度が使えない。しかも、死ぬまで農業をやらないと免除にならないという大変にきびしいものである。
 また農家は、農業に使う宅地部分もあるが、物置だとか車庫だとか農作業場だとか、自分の宅地や屋敷林もある。猶予制度を使ったとしても、宅地の税金を払わざるをえない。家屋敷を売るわけにはいかないから、農地を売る。そのため相続があると農地が激減する。

これからの都市農業
 これからの農業のあり方としてやはり農業生産の場がまず根本にあると思う。そのほかに農地が持っている多面的な機能と呼ばれる部分がある。都市だからこそという部分も多い。
 一番注目されているのが、防災のための一時避難場所としての農地。延焼を防ぐ防災機能、緑としての機能は農地にしておけばローコストで緑を保全できる。水田、水路の維持管理もみな農家の犠牲の上に成り立つ。学校教育、教育機能も注目されている。景観的な機能、特に屋敷林の問題をどうするのという話がある。市民に開放された農業ということで練馬区では12、3年前から始めた農業体験農園がある。年間一区画30m2で4万円程度の利用料である。そのような農家が、東京で35戸くらいある。農家が経営としてやれば、これは利益にもなるので、むしろ喜ばれている。そこではコミュニティーができる。コミュニティーを作れるような農業を目指すべき。これからの新しい農業というのは、都市だからこそできる農業で、そこに意義があると思う。
 昭和一桁の人たちが東京の農業を今までずっと支えてきてくれたが、これから正念場が来る。そういう意味でも市民の応援をいただきながら農業が続けていけるような農業ができればいいかなと思う。

*詳細は2006年度末報告書「水の郷・日野/用水路再生へのまなさし」に掲載

 
   

 

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