【お知らせ】「玉川源流物語」がYouTubeで公開されました。

【お知らせ】「玉川源流物語」がYouTubeで公開されました。

「府中・玉川プロジェクト 玉姫神楽づくり」の活動記録映像です。

 

多摩川はかつて玉川と呼ばれていました。 その語源となったという玉姫の物語。 鎌倉時代からの伝承が源流の小菅村に残っています。 玉姫は源頼朝の御家人である畠山重忠の娘とされています。 武士の鑑とたたえられた重忠は陰謀によって斃れ、 討手から逃れた幼い玉姫も玉川源流の池の平で命を絶った。 想い合うお供の大青とともに。 二人は大蛇と狼に化身し、山の神として村人に祀られた。 この山の神に捧げる神楽をつくり玉川の物語を語り継ぐこととした。

2019年度報告書を刊行いたしました

2019年度報告書を刊行いたしました


目次/Contents

はじめに
目次
プロジェクト報告  
  テリトーリオプロジェクト               
  『府中玉川プロジェクト』   
      小菅村源流再生活動2019  
     水都府中研究             
      野川のグリーンインフラストラクチャ―研究                神谷 博
  『潟プロジェクト』                                                   福井 恒明
     『斐伊川島根半島プロジェクト』斐伊川,島根半島地域の水辺とまち 高見 公雄
東京都心プロジェクト
『外濠市民塾』「外濠vision 2036」を基軸とした外濠再生への取り組み
-外濠市民塾活動報告 高道 昌志
『千代田学』千代田学事業 
─千代田区の地域史資料アーカイブ化の展開─ 福井 恒明
   方法論プロジェクト(旧都心周縁部)
東京都心周辺部、木造密集市街地のリサイクルについて        北山 恒

関連研究
石積み堰の統合水理解析                    道奥 康治
  フィールドサイエンティスト廣井敏男の環境思想と実践
         ―狭山丘陵の里山保全運動の中心的存在―  清水 淳
   瀬戸内のさまざまなスケールのテリトーリオについて       樋渡 彩
  善福寺池サウンドスケープ・プロジェクト:2019年の活動  鳥越けい子
   都市の自治とテリトーリオの持続可能性     
      ~佐原「江戸優り」フォーラムの示唆     小島 聡

エコ研の今後の活動にむけて
  2018年度報告会記録
「テリトーリオによる地域の包括的デザイン手法の開発」研究計画について
福井 恒明

4 研究業績

5 活動報告
2019年度活動一覧
2019年度メンバー

【お知らせ】エコ地域デザイン研究センター2019年度報告会を開催いたします。2020年2月25日

【お知らせ】エコ地域デザイン研究センター2019年度報告会を開催いたします。2020年2月25日

■日時:2020.2.25火曜日 13:00-17:30 (懇親会18:00より)
■会場:法政大学市ヶ谷田町校舎5F マルチメディアホール

■プログラム
 13:00 はじめに 福井恒明
 第一部
 13:05 「テリトーリオ研究の展開――ヴェネツィアから瀬戸内へ」
 14:00 「造船業からみた湊町ー牛窓を中心とした瀬戸内テリトーリオー」
     福地昂弥 法政大学大学院デザイン工学研究科建築学専攻修士2年高村研究室所属 
     コメント 陣内秀信
 14:30 「フィールドサイエンティスト廣井敏男の環境思想と実践 
     -狭山丘陵の里山保全運動 の中心的存在-」
     清水淳(エコ研客員研究員、北川かっぱの会代表) 
     コメント 小島聡
 第二部
 15:15 ディスカッション「テリトーリオの理論と実践の展開」
 
 17:30 閉会挨拶 岩佐明彦



※新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、懇親会は中止

【お知らせ】当研究員の論文が「建築討論(WEB)」に掲載されました。

【お知らせ】当研究員の論文が「建築討論(WEB)」に掲載されました。

「海路と陸路がつくる尾道のテリトーリオ」


[201911 特集:建築批評《尾道駅》ー地域の建築のための地域] Onomichi Territory made by route of sea & land

詳細はこちらをご覧ください。

建築討論
建築をめぐる幅広い批評的議論のプラットフォームを提供する日本建築学会のウェブマガジンです。

稲益祐太
いなますゆうた/東京都出身。久留米工業大学建築・設備工学科特任講師。専門はイタリア建築史・都市史。法政大学工学部建築学科卒業、イタリア・バーリ工科大学に留学。博士(工学)。



【開催報告】2019年9月21日「御嶽山で語る畠山重忠~父と娘 玉川が紡ぐ魂の邂逅~」を開催しました

【開催報告】2019年9月21日「御嶽山で語る畠山重忠~父と娘 玉川が紡ぐ魂の邂逅~」を開催しました

(鶴巻育子撮影)

会場は武蔵御嶽神社の神楽殿で、参加者は約50名でした。はじめに、法政大学江戸東京研究センター(以下、ETos)の神谷博より挨拶があり、今回の開催趣旨について、玉姫神楽の公演に至る経緯などの説明がありました。

第一部の「玉姫神楽」は神楽殿にて披露され、参詣の方の参加もありました。
引き続き第二部に移り対談が行われ、御嶽神社前宮司の金井國俊さんと法政大学名誉教授の馬場憲一先生にお話しいただきました。
「玉姫神楽」は昨年の活動で3回公演し、今年は第3回目の公演で通算6回目となりました。この神楽は、山梨県小菅村に鎌倉初期から伝わる伝承をもとに創作したものです。主人公の玉姫は畠山重忠の娘とされていて、「玉川」の語源になったという物語です。御嶽神社には、畠山重忠奉納と伝えられる国宝の赤糸威大鎧があります。玉姫が入水した小菅村池の平の地にも、地元玉川地区の守護神社として御嶽神社があり、多摩川の流れが父娘の縁を紡ぐという趣旨で神楽を奉納いたしました。

第二部の対談では、先ず金井前宮司から赤糸威大鎧に関わる古文書のご披露がありました。神社に残されている重忠に関わる全ての文献について一つづつ解説を頂きました。文献上からは、確実に重忠が奉納したとわかるものはないとのことですが、後世にそう記された文書は多く残っているとのこと。江戸時代に将軍吉宗がこの鎧を江戸城に借りだした頃には重忠奉納ということが広く認知されたようです。

これを受けて馬場先生がさらにその背景なども含めて解説を加えました。馬場先生は「御嶽神社及び御師家古文書学術調査団」の団長でもあり、「重忠奉納鎧」伝承と社殿修復の関係について主にお話されました。資料上は畠山重忠奉納鎧の伝承は1700年代初頭に確認できるとのこと。1727年、将軍吉宗が重忠鎧などの神宝上覧を命じ、その後1734年にも上覧している。これが武蔵御嶽山を「武蔵国号社」として権威を高めるのに役立ったという。それが1743年社殿修復の資金調達にもつながった。畠山重忠奉納鎧の伝承は、結果的に武州御嶽山の権威化が図られ宗教的文化空間を維持することにつながったとのこと。

お二人の話題提供の後、神社の方々などの参加者も交えて意見交換が行われました。 ETos からは鳥越けい子先生も参加されました。また、玉姫伝承の伝承者である横瀬健氏も参加され、玉姫伝承についてのお話も直接聞くことができました。意見交換の中で、金井氏より「秩父鎌倉街道」という言葉も出てきて、玉姫の逃避行ルートがその裏道だったとみられることも分かりました。重忠鎧の伝承と玉姫の口伝、どちらも文献で裏付けを確定することはできませんが、こうした物語がまちづくりを創造してきたのではないか。それが心に火をつける原動力なのではないか、ということが結論でした。

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【お知らせ】当研究員による報告書を刊行しました。『アマルフィ海岸のフィールド研究―住居、都市、そしてテリトーリオへ』

【お知らせ】当研究員による報告書を刊行しました。『アマルフィ海岸のフィールド研究―住居、都市、そしてテリトーリオへ』

発行日  2019年9月1日
Date   September 1, 2019
著者   陣内秀信、稲益祐太、
     マッテオ・ダリオ・パオルッチ、ジュゼッペ・ガルガーノ
発行所  法政大学エコ地域デザイン研究センター

Author  Hidenobu Jinnai – Yuta Inamasu – Matteo Dario Paolucci – Giuseppe Gargano
Publisher Laboratory of Regional Design with Ecology, Hosei University
ISBN   978-4-9907970-8-9



詳細はこちら

【お知らせ】「御嶽山で語る畠山重忠 父と娘玉川が紡ぐ魂の邂逅」を開催します 2019年9月21日

【お知らせ】「御嶽山で語る畠山重忠 父と娘玉川が紡ぐ魂の邂逅」を開催します 2019年9月21日

■開催日時:2019年9月21日(土)14:00~
■会場: 武蔵御嶽神社 神楽殿
    < JR御嶽駅からバスで10分(終点下車)
     ケーブルカー滝本駅から6分 御岳山駅から徒歩で30分> 
■問い合わせ先:神谷 博 suikei@jcom.zaq.ne.jp / 090-1429-4796

■プログラム
<第一部>14:00
 「玉姫神楽」奉納/神楽ユニット珊月花
重忠の娘とされる玉姫の伝承に基づく創作神楽

<第二部>14:30 – 16:00
対談:重忠奉納の赤糸威大鎧をめぐって
金井國俊/武蔵御嶽神社前宮司
馬場憲一/法政大学名誉教授
セミナー進行:神谷博/法政大学兼任講師

主催:法政大学江戸東京研究センター
法政大学エコ地域デザイン研究センター
協力:武蔵御嶽神社
後援:多摩川流域懇談会

【講師プロフィール 】
◆ 金井國俊/武蔵御嶽神社前宮司 宿坊御岳山荘を営む 
      著書として歌集「太占(ふとまに)」
◆馬場憲一/法政大学名誉教授 
法政大学エコ地域デザイン研究センター客員研究員
武蔵御嶽神社及び御師家古文書学術調査団 団長
◆神谷 博/法政大学江戸東京研究センター及び
エコ地域デザイン研究センター客員研究員

【演者プロフィール 】
◆珊月花/ハナヲ 、月弧、さんごによる神楽ユニット
ハナヲ:雅楽、現代音楽、作曲、編曲
月 弧:ネイティブアメリカンフルート奏者、作詞、作曲
さんご:舞踏家 Sango Saria 
総合プロデュース/はるく

武蔵御嶽神社と畠山重忠
1.御嶽神社の国宝「赤糸威大鎧」
御嶽神社には国宝となっている赤糸威大鎧(アカイトオドシオオヨロイ)があり、畠山重忠が奉納したとされている。
重忠は鎌倉初期の武将であり、中世の鎧を知るうえで貴重なものとされている。
江戸時代には、8代将軍徳川吉宗がこの鎧に関心を持ち、二度に亘り江戸城に借り出して詳細な調査をしたという。
吉宗の鎧研究の記録は、江戸時代の絵巻物などに描かれる鎧デザインのモデルとなったという。

2.中世武士の山岳信仰
重忠は何故この鎧を武蔵御嶽神社に奉納したのか。
当時は、保元・平治の乱を経ていたるところで戦乱が起き、世の中は混乱し、人々の心は疲弊していた。
社会不安が高まる中で多くの宗教が勃興し、後にこれらが鎌倉仏教として確立していく。
当時、多くの武士が頼ったのが、隆盛になっていた御嶽などの山岳信仰だった。

3.重忠の妙見信仰と鉄
秩父平氏の一族である重忠は、平氏由来の山岳信仰である妙見大菩薩を仰いでいた。
秩父は銅をはじめとする鉱産物に恵まれており、丹党の本拠地となっていた。
丹党は製鉄集団としての性格を持ち、武器調達に重要な役割を担っていた。
重忠は丹党に近しい在地領主として農や牧を基盤とするだけでなく、広域にわたる鉱業開発領主でもあったとみられる。

4.山の神と田の神
武蔵御嶽神社は日本武尊の東征にまつわる由来がある狼を眷属として祀っている。
山岳信仰において狼が果たす役割は大きく、大神として山の護り主とされる。
一方、水田の護り神は水神であり、蛇や龍がその象徴とされる。
山と田は一体であり、玉姫伝承においても、玉姫は入水して大蛇に変化し、恋人の大青(オオセイ)は狼に変化する。

5.玉姫伝承と常世の玉姫
玉姫伝承は、山梨県小菅村余沢の横瀬家(秩父、丹党の家系)に鎌倉初期から代々口伝で伝えられてきた。
伝承によれば、玉姫の父親は源頼朝に仕えた畠山重忠とされている。
重忠は怪力無双、且つ人格、容姿に優れ、音曲の才にも恵まれ、武蔵武士の鑑と評される人物である。
頼朝に信頼され、子の家頼の後事を託されたが、権力闘争の中、北条氏の陰謀により討たれた。
玉姫にも討手が迫り、小菅村まで逃避するも、翌年の春、討手に追いつかれて常世に旅発った。
その地は、玉川源流の池の平であり、玉川の名の由来は玉姫とされている。
玉川の御嶽神社と重忠の縁をもとに、玉姫の想いに寄り添ってみたい。

神谷 博

【開催報告】2019年8月17日「玉川の語源を探る夕べ」を開催しました

【開催報告】2019年8月17日「玉川の語源を探る夕べ」を開催しました

2019年8月17日(土)18:30~20:00、「玉川の語源を探る夕べ」が開催されました。
会場は二子玉川ライズ5階屋上の原っぱ広場で、参加者は約50名でした。はじめに、法政大学江戸東京研究センター(ETos)の神谷博より開催趣旨の挨拶があり、続いて第一部の「玉姫神楽」の披露がありました。引き続き第二部に移り対談が行われました。対談では、府中市郷土の森博物館館長の小野一之氏と法政大学文学部の小林ふみ子教授にご登壇頂きました。登壇とはいっても会場は芝生広場で観客席も筵敷きという屋外イベントでした。

「玉姫神楽」は昨年の活動で三回公演したのに引き続き、今年は第二回目の公演となりました。この神楽は、山梨県小菅村に鎌倉初期から伝わる伝承をもとに創作したもので、主人公の玉姫は「玉川」の語源になったとされています。神楽も現代に伝わる江戸時代の神楽ではなく、鎌倉初期の形式を再現することを試みています。丁度まわりが暗くなった時に始まり、照明も最小限として背景に幻想的な光を流す演出を施しました。

第二部の対談では、先ず小野館長から「多摩川、古代の風景を考える」と題して、「多摩川」と「玉川」どちらが古い? 多摩川と多磨、どちらが先? タマ川とタバ川はどんな関係? なぜタマ川の名前になったのか? など、興味深いお話を頂きました。歌枕の「六玉川」にも触れて、玉川は全国にも多く、自然発生しやすい名前でもあると指摘されました。最後に、多摩川の表記は多くあるが、一番古いのは玉川、とのことでした。
次にお話しいただいた小林ふみ子先生は、「玉川をめぐる江戸の文芸文化」と題し、「流域を歩いた文人、大田南畝から」というサブタイトルを付けて、南畝を軸に話を進められました。江戸時代の玉川は自然を楽しむ遊楽の地になっていた、文人的田園趣味の「郊行」があったとし、南畝の「玉川余波」より多くの引用を用いて解説されました。その中で、「水を治ることば」を紹介して玉川の姿を活き活きと示されました。古歌に詠まれる歌枕の地が、江戸期には心の俗塵を払う場所となり、治水の必要性という現実とともに生きていたことを語られました。

お二人の話題提供の後、対談というより掛け合いの意見交換があり、それぞれのお話を深めて頂きました。進行役の神谷からの質問も交え、予定時間をやや超えて終了いたしました。

閉会にあたり、後援を頂いた多摩川流域懇談会から国土交通省京浜河川事務著調査課長の斎藤氏よりご挨拶を頂きました。最後に、会場を貸していただいた二子玉川ライズとして東急電鉄の都甲課長よりご挨拶を頂きました。(神谷 博)