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法政大学大学院エコ地域デザイン研究所
地域マネジメントプロジェクト
2006年度シンポジウム
ルーラル・エリアの地域マネジメントにおけるNPOの役割
−高知県四万十・幡多地域を対象に

 
日時
2006年11月27日(月)13:20−17:20
会場
法政大学市ヶ谷キャンパス ボワソナード・タワー26Fスカイルーム
参加費 無料
主催 法政大学エコ地域デザイン研究所・地域マネジメントチーム
後援 高知県
NPO法人高知県西部NPO支援ネットワーク
プログラム 開催挨拶
趣旨説明
地域的背景の説明
事例報告
[黒潮沿岸のNPOから]
1.   神田 優(NPO法人黒潮実感センター センター長)
2.   畦地和也(NPO法人NPO砂浜美術館創設メンバー)
[四万十川流域のNPOから]
3.   山田高司(社団法人西土佐環境・文化センター四万十楽舎 専務理事)
4.   杉村光俊(社団法人トンボと自然を考える会 常務理事)<映像による参加>
<休憩>
コメント    
山下正寿(幡多地域文化ゼミナール館長)
    大原泰輔(NPO法人高知県西部NPO支援ネットワーク理事)
    菊地邦雄(法政大学大学院環境マネジメント研究科教授)
ディスカッション
コーディネーター:山岡義典(法政大学大学院人間社会研究科教授)
閉会挨拶
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事例報告概要
[黒潮沿岸のNPOから]
1.「島が丸ごと博物館(ミュージアム)―持続可能な里海づくり―」
NPO法人黒潮実感センター 神田 優(センター長)

 高知県大月町柏島は、高知県西南端にある周囲3.9km、人口520人ほどの小さな島で、その魅力は、山の上からでも海底が透けて見えるほど澄んだ海と、そこに棲むたくさんの生き物たちである。柏島の海は、南からの澄んだ暖かい黒潮と、瀬戸内海から豊後水道を南下してくる栄養豊富な水とが混じり合うことで、温帯にも関わらず亜熱帯産と温帯産の魚類が混生し、143科884種もの豊かな魚類相が報告されている(1996年・高知大学海洋センター報告)。調査は現在も継続中で、現段階では未記載種、日本初記録種を含め1000種を越えている。現在、日本全域で確認されている魚種は約3800種(海水、淡水を含む)だが、その1/4にあたる。また、島及びその周辺海域には多種多様なイシサンゴ類が群生しており、その規模はトカラ列島以南と小笠原諸島を除く日本沿岸で1.2を争うものである。島は、これまで高知県有数の水揚げ高を誇る漁業で栄えてきたが、昨今の漁価低迷や漁獲量減少、高齢化に伴う後継者不足等にあえぐ一方、海の美しさと魚の多さからスキューバ・ダイビング業や磯釣り渡船業、旅館民宿業などが発展、年間3万人を超える観光客が訪れている。こうした背景から、漁業と観光レジャーとの確執が生じてきた。
 黒潮実感センターは、豊かな自然環境と住民の暮らしを包含する「島が丸ごと博物館」という概念のもと、海に関する環境保全・環境教育、調査研究などの活動や情報発信を通じて、地域の暮らしを豊かにするお手伝いをしている。柏島は昔から海を生業にして人が生活してきた場所なので、人が手を入れ二次的自然を維持してきた「里山」と同様の保全方法として、人と海が共存できる持続可能な「里海」づくりを提唱し、次の3つの柱で活動している。(1)「自然を実感する」(大学等と共同の調査研究やセミナー、子ども対象の体験学習、成人対象のエコツアー)(2)「自然を暮らしに活かす」(住民の物産販売「里海市」への参加協力、海洋資源活用や豊かな漁場づくりの支援)(3)「自然と暮らしを守る」(海洋環境定期調査、サンゴや藻場の保全活動、ダイバーや地元住民との海中・海浜清掃活動、自然と暮らしを守るルール「里海憲章」作りのお手伝い)である。持続可能な里海づくりのためには、観察やデータ蓄積などの自然科学的アプローチと、人の暮らしと海とのよりよい関係を考えるといった社会科学的アプローチの両方が必要であると考えている。

 

2.「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です」
NPO法人NPO砂浜美術館 畦地和也(創設メンバー)

黒潮町(2006年大方町と佐賀町が合併)旧大方町地域は高知市の西方100・、太平洋に面した人口1万人の町である。県西部は須崎市までしか高速道路が通じていないため、高知市内からは車で2時間以上、龍馬高知空港のある南国市からは3時間近くかかる。旧大方町の名所といえば、黒松10万本と言われる入野松原と、長さ4・に渡る遠浅の入野海岸、通称月見が浜の絶景である。1960年代後半までのこの地は、飲食店や旅館が立ち並び年間を通して行楽客で賑わう商業スペースだった。しかし、1972年の都市公園指定以降、状況が一変した。計画は直後のオイルショックにより破綻したが、方針見直しのないまま1978年までに飲食店や旅館の全てが用地確保のために立ち退き、整備の進まない更地が出現、人が訪れなくなった松原は雑木と雑草に侵食され密林のようになり、さらに営林署が張り巡らせた有刺鉄線が人々と松原の関係を完全に途絶した。この時期を境にマツクイムシの被害が拡大、樹齢100年以上の松は全て枯死し松原の景観は失われた。
1989年、2人の役場職員と高知市内のデザイナーの出会いが「砂浜美術館」誕生の契機となり、ハコモノ建設全盛時代に、ハードに頼らないソフト重視の発想が生み出された。地元の若者9人で活動を始め、一頃は40人ほどのメンバーが全てボランティアでイベントや商品開発、情報発信などを行い、1995年から専従事務局員を確保、2003年にNPO法人化した。「Tシャツアート展」「漂流物展」「潮風のキルト展」など個性的なイベントの多くを町からの「観光振興事業」受託の形で実施、学校での環境学習、修学旅行や研修旅行向けガイド事業、ホエールウォッチング事業の集客・配船業務も行い、近年は、広域的エコツアー企画、県西部の総合的プロモーションにも力を入れている。また、2006年度から県立都市公園の指定管理者となった。偶然の出会いから派生したネットワーク、好みや特技を活かし地域生活を楽しむ遊び心、発想の独自性、都会に媚びない姿勢などをもとに事業継続してきた結果、特に都市部の人々の関心を集め、町のイメージづくりに不可欠の存在となったが、地元での浸透度という点では、住民の意識や価値観との乖離が課題と認識している。文化的行政の一翼を担う活動は公的助成や委託事業収入を主な財源としてきたが、今後は、ミッションとのバランスをとりつつ独自財源確保も進めなければならない。

[四万十川流域のNPOから]
3.環境・文化センター四万十楽舎 設立経緯から今後の課題と展望まで
社団法人西土佐環境・文化センター四万十楽舎 山田高司(専務理事)

環境・文化センター四万十楽舎がある西土佐村の森林率はおそらく90%以上、その森林の中を四万十川が流れている。四万十楽舎は、その中流域にある1988年に廃校となった小学校を活用して、1999年に開設した体験型の宿泊センターで、主な利用者は修学旅行客、カヌー客などである。設立経緯は、1996年、現在の楽長である山下氏が「土佐の教育改革を考える会」にて休・廃校舎活用を提案したことが発端となり、1997年に西土佐村での開設を検討、行政幹部や地区住民との協議を経て、1998年7月設立準備室開設、県の地域活性化事業補助と村の予算を受け廃校舎を宿泊型施設に改修、施設を拠点に事業運営する社団法人を設立し、1999年4月四万十楽舎開設、常勤職員6人体制で事務所開きの運びとなった。楽舎を拠点とした交流による、地域資源(文化・人材)と広域ネットワーク(情報・来訪者)相互の充実・拡大を運営イメージとし、生涯学習、文化創造・環境楽習活動のボランティア支援、人材育成や商品開発ゼミなどの受託事業、旅行企画、土産物販売、宿泊事業などの自主事業、四万十川作品展や環境映画祭などのイベント事業、パソコンや芸術、自然文化体験などの楽習、大学等の宿泊実習受け入れなどを事業活動に掲げている。
年間宿泊客数は2005年実績で2,715人、利用は5月連休と夏休みに集中している。会員数は設立時433人、2006年6月現在217人と減少傾向にあり、設立当初は支援目的の会費納入者が多かった面もあるが、会員拡大努力の必要性も自覚している。年間宿泊客数、宿泊事業収入とも、当初計画値を達成してはいないものの右肩上がりの実績を示している。設立時には、地域、行政との間の基盤整備や合意形成、法人経営スキル等の面で不足があり、設立3年目頃には、地元とのつきあい不足や施設周囲の環境美化等の努力不足を指摘される、リーダーの独断専行にスタッフが付いて行けないなどの問題が生じた。現在は、経験の蓄積や独立採算の厳しさへの理解が進み、スタッフの積極性が向上してきた。マスコミ等で多数取り上げられて認知度が高まり、地域行事への貢献を心がけたことから地域への浸透度も強まってきた。料理に対する評価も高い。今後は、施設は地域・行政のものであることを再認識して連携関係を強化し、スタッフ個々の実力を高め、環境・文化センターの名にふさわしい、魅力ある時空間を創出する公益事業を展開していきたい。

 

4.社団法人トンボと自然を考える会設立と博物館運営
社団法人トンボと自然を考える会 杉村光俊(常務理事)<映像による参加>

本会の活動の発端は、杉村氏個人によるベッコウトンボの保護活動である。生息地の大規模開発が決まり、数年かけて移植を試みた結果、休耕田だった現在の場所が最適だった。保護活動継続のため土地取得を考え、1985年に絵葉書作成などの資金獲得活動を開始したところ多くの賛同が得られ、組織で土地を取得する必要性から法人化を決め、同年12月14日に社団法人の設立許可申請、同月23日に許可、印税や企業からの寄付等800万円の基金をもとにナショナルトラスト方式での土地取得事業を始めた。会の事務所を市役所内に置く等、市から協力が得られているということにして試験研究法人(現在の特定公益増進法人)の一類型であるナショナルトラスト法人の認定を受けた。大きな成功要因は、財団法人世界自然保護基金ジャパン(以下WWFJ)の協力が得られたことである。それにより地元の理解も得られた。礼宮(現・秋篠宮)がWWFJ総裁になり実際の行動を希望、WWFJが直接所有する土地はここしかなく、中村市(現四万十市)に博物館建設を提案し、「トンボ館」建設が決定、公園は88年7月、トンボ館は90年4月にオープンした。
博物館運営は独立採算制で、開設当初5年位は順調だったが、全国に類似施設が開設されるにつれ利用者収入が減少、そこで「さかな館」をつくることになり、商店会や民間団体、行政などの間の調整を杉村が担当、02年7月開設に至った。実際の運営資金は利用収入だけでは足りず、国や県から調査委託を受けるなどしてやりくりしてきた。2006年から指定管理者制度が始まるが、ここの運営に関する市と本会との関係は、車の両輪のようにどちらが欠けても止まってしまう関係である。もし他の団体がここを管理するようになれば、トンボの標本資料や魚を集めることからしなければならない。
「トンボが飛ぶ身近な自然、それをレジャーセンターと感じる人を育てる」これが会の究極の目的である。その土地に生息する生き物はその土地の特徴を持っている。そこに外来の生物が入ってくると、一帯の生態系が壊れてしまう。日本人は、日本本来の自然に親しむことが大切なのではないか。日本の生き物は臆病だから、捕まえ方を想像しなければ捕まえられない。ただ待つだけでなく、集中力を持って眺めなければならない。そんな中で知らず知らずのうちに、想像力や忍耐力を自然に学んでいくのではないだろうか。

本報告は2005年3月30日実施のインタビュー記録から要点を整理したものである。詳細は『ルーラル・エリアの地域マネジメントにおけるNPOの役割―高知県四万十・幡多地域を中心に―』(法政大学エコ地域デザイン研究所地域マネジメントプロジェクトワーキングペーパーNo.1 pp.10-17)参照。

 

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