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東京都心の水辺再生プロジェクト 研究会
「東京都心の水辺再生を考える vol.3」

 
日時
2006年9月11日(月)18:00〜21:00
会場
法政大学市ヶ谷キャンパス ボワソナード・タワー25階B会議室

 

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「東京湾の復権 〜海洋レクリェーションの再生」
米村 洋一 氏(NPO法人 地域交流センター)

 東京は江戸時代より海や水辺を使い生活が営なまれ、近代になると、特に高度経済成長期の臨海部では都市開発が急速に進められ、結果として生活空間としての水辺が失われてきました。
 東京湾は日本を代表する港湾ですが、陸と比べ海そのものの使い方、計画が弱く、海に関わる法制度や慣習が古く、色々と問題を起こしていると思います。各地域の地先における整備計画だけでは、湾や海の全体的な姿を描くことができません。本来は、湾や海全体の計画方針がないとおかしいわけです。
 現行の法律や制度は、海を楽しむことが想定されていない内容で、サーフィンやプレジャーボートを考慮した法制度が整っていなく、沿岸域を管理する手法も育ってきませんでした。海や水辺の新たな利用法はどんどん進んでいる一方で、対処する環境ができてこなかったということです。
 東京湾のポテンシャルは、3000万人の後背地があり、歴史や文化、自然環境が残っていることで、こうした地域は世界でも稀です。こうしたポテンシャルを生かすには、1つは新しい利用実態や社会構造に対応した、法律も含めたルールづくりが必要だと思います。法律以上に社会習慣が大切で、レクリエーションを中心とした海の利用の仕方というものが、新しい海のビジネスの大きな部分を占めてくるのではないかと思います。
 実は今、地域交流センターで海の駅・運河の駅を提案しています。かつて道の駅の社会実験をした経験から、きめ細かく町の中に駅をつくろうと考え、水辺の交流拠点として海の駅・運河の駅を発想したわけです。こうした交流拠点を連携させ、船着場としてのサービス機能に加え、日頃活用する施設として災害時に物資を運び入れる場所としても期待できると考えています。すでに、小売店やスーパー、フィットネスクラブなどの協力をいただいています。
 他の地域でも社会実験を行ってきました。1980年〜90年に、相模湾で外部からの来訪者と地元住民とのあいだで、海岸の利用について問題が起きました。条例などでの取り締まりも検討しましたが、結局は浜辺にカフェやヴォードウォーク、シャトル船の就航、ログハウスなどの施設を整備する社会実験「サーフ’90」を開催しました。海辺に人が集まる環境が整い、650万人が来場し、暴走族が溜まるといった問題が回避できたほか、結果として546項目の社会的問題を解決するための社会実験イベントとなりました。こうした機会に、海辺利用の新しい仕組みづくりが狙いのひとつで、ルールづくり、ごみ処理、湾岸域全体の包括的な対策づくり、人命救助といったように、それぞれ対応する組織を立ち上げるといった成果もありました。

 

「海際空間の計画・整備・利用について」
宮地 豊 氏(独立行政法人 国際協力機構)

 陸から考えた都市整備は汐留のようなビル群となりますが、海から水際線を考えますと、ある程度のオープンスペースやパブリックアクセスを整備するといったガイドラインもでき、港湾管理者や海岸管理者のあいだにも、海際空間の高質化に対する認識が定着してきています。
 国土交通省港湾局では、活力、歴史、賑わい、暮らしを柱にして、ふ頭再開発に取り組んでいます。横浜港本牧地区、東京湾大井地区では、コンテナターミナルを高規格化することで国際競争力を再生しようとしています。賑わい空間としては名古屋港ガーデンふ頭があります。遊休化した古い埠頭を、水族館、飲食物販施設、テーマパーク、緑地、客船ターミナルの整備とともに、地域のシンポルとして南極観測船を活用しています。高松港玉藻地区では、旧鉄道跡も含めて商業業務拠点を再整備しました。暮らしに関しては、室蘭港中央ふ頭にある市営の倉庫が、市民団体によってイベント会場として活用され、ジャズなどのコンサートが開催されていますし、徳島小松寺港本港地区では、遊休化したフェリーターミナルを市民団体が地域交流拠点として活用し、常時開催しているフリーマーケットやプレジャーボートのビジターズバースが整備されています。歴史に関しては、1980年代からの地道な働きかけが実った横浜港赤レンガ倉庫があります。また、清水港日の出地区では、木材積み込みクレーンを保存・活用した再整備がなされ、地域のシンボルとなっています。
 事業についてですが、堤防や緑地といった公共施設と民間施設の整備時期にズレが生じる場合があり、民間で公共施設を整備して、事業費を事業主体に返済するといったこともしています。最近の賑わいの事業として、「みなとオアシス」制度があります。
これは、港の資源を活用した住民参加型の継続的取組に対する各種公的支援等により地域活性化を目指す制度です。他にも、里浜づくりといった動きもあります。
 海岸、港湾、水域、陸域における様々なイベントにおいて、課題が検討されるなかから、色々なガイドラインができています。水際線施設の一体整備ガイドライン、港湾景観形成ガイドライン、 海岸景観形成ガイドラインなどがあります。ガイドラインがなければ事業が進まないことはありませんが、これまでの経験を活か
し、課題を克服する知恵として貴重だと思います。最近、行政の提案として、都市再生や特区という形で事業インセンティブを付与する試みがありますが、こうした場合にガイドラインの果す役割は大きい。 海の場合は、広域的視点やネットワークについての検討がまだまだ必要になるだろう。また、技術開発では水質浄化や、オランダ村に整備されていますが、非常時だけ機能し平常時は目立つことのない防波堤など、非常時と平常時の両方において安全性と利便性を確保することが求められている。

「海から捉えた東京の水辺 その歴史と未来」
高松 巌 氏(八千代エンジニアリング_梶A元東京都観光部長)

 私は生まれも育ちも八丁堀で、八代目となります。私が小学生のとき、まだ道路は完全に舗装されていなくて、結構下町としてのおもしろさがありました。
 江戸末期の頃、町に評価基準がありまして、花、河、小路、粋、華、連がそうです。花というのは、花を植えて大事にしている町のことです。河とは、河川や堀を清潔に保つことです。水の流れが弱いため、ぼうふらが発生しやすく、夏は蚊帳がないと寝られなかったのです。小路ですが、当時は長屋の前の道は、打ち水をし、縁台を出して将棋するような路地で、清潔にしておくということが町の評価の基準となっていました。粋は、町全体に粋さがあって、ただせこせこ働いているだけではない、生活のゆとりのことです。華というのは、例えばどこからか三味の音や、子供の泣き声といったその町の特徴のようなものです。最後に連でが、これは仲がいいということです。お祭りに代表されますが、共同して皆で1つのことに当たれる町がいい町であり、大事なことだと思います。
 関東大震災後に、港湾の防災上の機能が見直されました。震災復興において、本格的に日の出埠頭の整備が1925年に完成しました。その後、竹芝・芝浦の埠頭が完成するという経緯があります。それから1941年に東京港が開港するとともに、晴海と豊洲の埋め立てが進み、昭和15年にはオリンピックとあわせて万博を誘致しようという計画がありました。戦争により実現することはありませんでした。戦後、東京オリンピックにおいて高度経済成長期を迎え、江戸から継続されていたリサイクル都市から大量生産、大量消費の時代が到来しました。
 臨海部開発についてですが、埋立地の活用を考えるにあたり、再開発移転等用地の有効利用を図ることが大切で、今でも木場の辺りにあります。また、ここに海の森という90ヘクタールの公園をつくる計画があります。それと「海辺の開発余力資産」とした天王洲から品川、日の出ふ頭の再整備、新木場再開発と若洲、旧埠頭のリニューアルなど新しい水辺都市東京を創造するには重要であると考えています。
 課題や問題点もあります。高潮対策や防潮護岸の改修で安全性高める一方、水辺を意識でき、環境や景観にも配慮されることが望まれます。また利用規則といった水際の管理や臨海部において貧弱である公共交通手段を充実されることもあげられます。こうした課題を克服すべく、スーパー堤防の整備や環境創造都市にふさわしい機能や地域デザインを、専門家のアドバイスや地域の合意によって進めています。花、河、小路、粋、華、連を町の価値基準としていた江戸から、たかだか150年しか経過していません。都市構築といった枠組みから暮らし(生き方)までを考えるには、グランドデザインの構築とちょうど良いおせっかいが大切になるのではないでしょうか。

 

 

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