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再生プロジェクト研究会

日時: 2005年9月15日(木)18:00〜21:00
場所: 法政大学市ヶ谷校舎ボアソナードタワー25階B会議室

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「水辺の再生に向けて イタリア都市の水辺と舟運に学ぶ」 大隈 哲
イタリア都市水辺空間の活用と舟運の実態を調査した。調査都市は、海辺の都市として、ジェノヴァ、ポルトフィーノ、ピエトラサンタ、河川・運河の都市は、ベネツィア、パヴィア、フィレンツェ、バッサーノ、トレヴィーゾ、ヴィツェンツァ、パドヴァ、ピサ、ミラノ。掘割や池、泉や井戸の空間として、チッタデッラ、フェッラーラ、ペルージア、オルヴィエート。舟運調査は、ベネツィア、ブレンタ川。
海辺都市では、産業構造の変化による港湾地区の再生が、ジェノヴァでは顕著な例として挙げられる。広域にわたっての計画が進められ、徐々に実行に移されている。昔の岸壁には歩行用のボードウォークが設けられ、古い倉庫群は商業施設にコンバージョンされ、人出が戻ってきている。ポルトフィーノやピエトラサンタは、保養地や別荘地として城やかつての大理石積出しのための桟橋などを保存活用している。
河川や運河の活用では、パヴィア、フィレンツェ、バッサーノ、ベネツィアの屋根の付いた橋や商業施設を橋上に持つ橋が、都市景観を印象づける。橋自体は、洪水や世界大戦の戦禍などで破壊されても、以前と同じデザインのものを再生し、水辺風景は変えない。それらの橋の際には、ボートクラブ、船着場、水遊びの場所など、人々が日常生活で水に接する場が作られている。北イタリアの古い街でも、水辺の散策路、各所に設けられた船着場、水辺を向いたレストランやカフェや住宅と、日常生活と水辺の関係は親密だ。掘割や池の周辺でも、同様な扱いが見られる。都市内で水を大切に様子は、雨水を貯めた井戸や泉の水源確保、山岳都市にも水路を引いて作った噴水、深い井戸を掘って街の生活水を確保する努力などに見られる。
舟運では、あまりに有名なベネツィアでは、大通り運河(カナルグランデ)には、水上バスや水上タクシーがひっきりなしに走り回り、その間を観光用のゴンドラや生活物品を運ぶ輸送船が行き交う。3本しか橋がないカナルグランデでは、日常利用としての乗合渡し舟ゴンドラも活用される。細いカナルでは、自家用船やゴンドラが大活躍し、あちこちに船着場がある。
イタリアの舟運の特徴である河川や運河の舟運は、観光用や個人のプレジャーボートが主。今回の調査でクルーズしたブレンタ川は、中世の別荘(ヴィッラ)を巡る観光ボートと、水遊びを楽しむ人々で賑わっていた。川の途中には、閘門(ロック)が随所にあり水位の差をクリアして船は進む。各所にある橋は、車道用、人道用にかかわらず、船が通るたびに、回転され、引き込まれ、船の運行を妨げない。
これらのイタリアの実態と日本の水辺環境、ミラノやソウルや大阪で行われている水辺再生の事例を検証しながら、東京の水辺再生提案を目指している。

[ジェノヴァ港再開発案]
[チッタデッラ]
[パッサーノ]
[ブルンタクルーズ閘門]
[ナヴィリオ運河活用]

 

「デンマーク都市・建築研究 〜城塞港町・コペンハーゲンの都市形成〜」 小山展宏
中世に基礎が確立されたデンマークの首都・コペンハーゲンの都市形成は、現在のデンマークの持つライフスタイルやデザイン理念、福祉、そしてエコ(エコロジー&エコノミー)などに対して深い影響を与えています。
本研究はデンマークの都市計画や建築を通して、都市再生や環境共生のための新しい提案を学ぶことを目的としています。
コペンハーゲンは800年頃には小さな漁村として現在の中心部の近くにあったとされ、12世紀の終わり頃からはローマ法王の書簡にも地名が現れています。13世紀にはこの地にはKopmannahafn(「商人の港」という意)の名が使われ、現在の名(Kobenhavn)の原型が見られます。
1588年に王位についたクリスチャン4世王は政治と建築の両方の教育を学び、現在のコペンハーゲンの基礎となる都市計画を行いました。彼は当時のコペンハーゲンを囲む城壁を拡張し、その内側にいくつもの荘厳な建築を建て、巨大な海軍の港を整備しました。そして彼が亡くなる17世紀の終わりには、コペンハーゲンは巨大な港湾要塞都市と化していました。
1728年にコペンハーゲンは大火に襲われ、それを境に町並みは伝統的な半木造の住宅から漆喰とレンガのファサードを持つ建築に立て替えられます。その後のコペンハーゲンには大きな戦争などによる破壊はなく、この中世からの街並みはそのまま現在に引き継がれています。
数世紀もの間コペンハーゲンの街を覆っていた城壁はついに容量の限界に達し、1856年に取り除かれ、それ以降コペンハーゲンの街は急速に拡大して行きます。
1900年を前後しての人口の急激な増加に伴い、コペンハーゲンは周辺地域を吸収合併し、現在の大きさになります。そして1947年、急成長するコペンハーゲンの都市開発案として“フィンガープラン”が発表され、それは現在でもコペンハーゲンの都市計画の基礎となっています。
さらに90年代後半からは都市再生における様々な計画が進み、2002年にはデンマークとスウェーデンを結ぶOresund大橋が完成し、街の軸は大きく変わりました。また、このOresund大橋とコペンハーゲンの中心街との間のOrestaden地域では、水辺とエコをテーマにした大規模な新都市開発が現在進行中です。  
その他にも、環境と向き合う様々な都市プロジェクトが、コペンハーゲンおよびデンマーク全国で取り組まれています。

[1500年頃のコペンハーゲン]
[コペンハーゲンの都市の変遷]
[城壁の崩壊]
[都市拡張計画 フィンガープラン(1947年)]
[コペンハーゲン海上風力発電(2001年)]
 

 

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