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歴史プロジェクト 第7回研究会(エコプロジェクト合同研究会)

日時:2005年5月26日(木) 18:00〜21:00
場所: 法政大学ボアソナードタワー26階 A会議室

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『地下水環境の変動に伴う都市域地下での問題の発生とその変遷 −東京での例−』 徳永 朋祥 東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻
首都圏の地下環境は、地下水状況の変遷と地下空間利用の進展に伴い、大きく変化してきている。地下水環境変化と人間の地下利用の結果として、我々は様々な地下環境問題を経験してきている。
Figure 1に見られるように、1970年代初頭には、被圧帯水層の地下水ポテンシャルは水頭にして50m以上低下していた。このため、東京東部の下町一帯では、大きな地盤沈下が発生した(Figure 2)。また、いくつかの被圧帯水層の不圧化もみとめられ、酸欠空気の発生とそれに伴う被害が発生した。これは、地下空間開発工事に伴い、酸欠空気が帯水層中を移動し、地下階等において、酸欠空気による死亡事故の発生として表れた問題である。
地下水の過剰揚水に伴う地盤沈下問題が深刻になってきたために、1961年から1974年にかけて揚水規制が実施された。その結果として、被圧地下水のポテンシャルは非常に急速に回復した(Figure 1)。この急速な回復は、東京地域の帯水層が比較的新しいことによる透水性の高さと、関東地域の高い浸透量(1日あたり2〜3 mmの浸透量)によるものであると考えられている(Shimada, 1988; Shimada et al., 2002)。
東京地域においては、揚水規制の実施により地盤沈下は沈静化し、また、地下水ポテンシャルの回復も認められた。しかし、その結果として、新たな問題が発生してきている。
JR東日本の東京地下駅は、1965年に設計がなされ、1972年から運用が行なわれている。この地域では、設計時には、被圧地下水の井戸水位は地盤面から35mの深度に位置していた。しかし、揚水規制による地下水ポテンシャルの回復に伴い、1998年には、地下水ポテンシャルが水頭にして地盤面から15mの深度にまで上昇してきた。JR東日本では、この対策として、永久グラウンドアンカー工法を採用することとした(Figure 3)。この対策により、地表面から12.8m深度までの水位上昇には対応できることとなった(清水, 2004)。
首都圏における地下水の回復に伴い、地下構造物への漏水量の増大も発生している。一般に、構造物への漏水は直接下水へと流され、処理されている。しかし、地下構造物への漏水を利用し、都市環境改善を行なう試みがいくつかなされている(清水, 2004)。
JR武蔵野線の国分寺トンネルは、1973年以降供用されているトンネルである。このトンネルは、地域の地下水流動方向と直交しており、1974年および1991年に、地下水面の急激な上昇とそれに伴う問題を経験している。現在では、急激な地下水面上昇を避けるために、トンネルには24本のドレイン孔が設けられ、地下水面制御が行なわれている。2002年からは、排水された地下水を地域の小さな池の復元と河川流量増加のために利用するようになっている。この結果、地域の地表面水環境の改善に貢献する結果となった(Figure 4)。
最近、梶野ら(2004)は、“余剰”地下水を利用し、都市域の舗装面温度を制御することにより、ヒートアイランド現象緩和に貢献できる可能性を示している。この種の考え方と同様な、また、それ以外の“余剰”地下水を利用した都市環境改善方策は、今後の都市域の持続可能な開発を考える上で重要な視点ではないかと考えている。
本稿においては、首都圏における地下環境の変遷とそれに伴う課題の変化についてまとめた。首都圏におけるこれらの変化は3つのステージにまとめることが可能であろう。それは、地下水過剰揚水による地表面および地下環境悪化、揚水規制による地下水回復、地下水回復に伴う新たな課題の発生、である。このような過程の結果を適切に整理し、今後発展するであろう都市域開発プランに反映することは、環境調和型都市開発を行う上で重要な点であろう。また、すでに発達した都市域において、“余剰“地下水を利用した都市環境改善を検討することも、持続可能な都市開発を行う上での重要な視点であると考えている。

[Figure 1]
[Figure 2]
[Figure 3]
[Figure 4]
 

 

「地理学的視点から見た都市の水環境の変遷−東京の歴史的水環境の復原を中心に−」 谷口智雅(立正大学地球環境科学部地理学科・非)
近代の約100年間においては、人類の活動は都市への集中を示した。都市の急減な人口増加とインフラストラクチャーの整備によって、都市とその周辺では著しく自然が変化した。都市の自然環境を理解するためには、現在の自然環境だけではなく過去の自然環境についても把握し、現在の状況がどのような過程を経て形成されてきたのかを知ることも必要である。さらに、河川を中心とした人間活動に関わる「水」は、人為的な影響を非常に受けて変化しており、自然的の状態を基本として、その上に人為的影響を受けた過程を整理し、人間活動による都市内の「水」へのインパクトを明らかにすることが求められる。換言すれば、都市の水文環境には多くの要素が係わっており、水と人間生活との関係を総合的に研究する必要があると言える。
ここで、東京における河川を中心とした都市水文研究について概観すると、都市域の水環境の現状と問題、都市の発展過程が水循環と環境に及ぼす影響などの観点から様々な研究が行われてきた。しかし、近現代を含めた水文環境の把握は非常に重要な課題であるが、科学的資料の得られない時代の環境変化を理解することは大変困難であるため、多くの研究は数値化された調査資料が存在する年代、すなわち昭和・平成年代が中心であり、水文観測データが得られない江戸、明治・大正時代の水文環境変化について述べているものは少ない。しかし、近代化以降の人間と自然の関わり合いを考える上で、歴史的水環境を明らかにすることは重要である。このため、本研究では科学的分析資料の得られない時代の河川環境を理解するため、文学作品や史誌などに見られる河川や水路などについて書かれた記述から、20世紀初頭における東京の歴史的水文環境の復原を行い、20世紀初頭を含む東京の水質分布と隅田川の約100年間の水質変化を示した。
その結果、20世紀初頭には都市中心部を流れる隅田川、神田川などで水質汚濁が見られ、特に浅草、本郷などの人口密集地の水路では生活排水による水質悪化が顕著であった。汚れた水域は、都市の拡大とともに武蔵野台地上や隅田川左岸の地域にまで広がったが、良好な水域が都市内や武蔵野台地の湧水池やそれらを水源とする河川の上流部で見られた。また、地域的特色を概観すると、河川・水路の水質汚濁は人口密集地で進行し、低地や台地の縁で顕著である傾向が得られた。
さらに、都市の総合的な水文環境を理解するためには、河川・質(水質・負荷量など)だけでなく、地下水・量(水量・水位など)についても当然把握する必要がある。このため、地下水および水量についても歴史的水文環境の復原について予察的報告を行った。
その結果、水について描かれた文章資料や地下水位の低下よる湧出地点の変化、井戸の形態、水利用、土地利用などの水文景観などよって、歴史的水文環境の復原することは、水文観測データの得られない地域・時代の水に関わる事象の分布や現状の理解においては有効な手法の一つであることを示した。
地域を理解するために、自然現象や人文・社会現象を個々に分析することやこの両者の相互関係について究明することが地理学の分野において行われてきたが、近年、環境保全や持続的利用などの課題から「文理融合」、「環境」、「自然」、「人間」の観点がさらに重要視されてきた。しかし、これは単に、自然環境が人文的要素を考慮に入れた研究によって、また人文・社会環境が自然的要素を考慮して地域を理解することにとどまらず、手法や資料、分析方法を含めて考えることが大切である。本来、地域の水辺を取り巻く環境にはその地域の習慣、風土にあった独特の情景があり、最近の水辺の再生・復活のみならず都市計画や集合住宅のプランニングなどにも、その土地の歴史や伝統を生かすことが求められるようになっている。それは身近な都市の自然の再認識につながっていると言える。このことからも、都市の水辺環境研究についても、従来の手法にとどまらない、新たな手法や検討も必要であると言える。

[図1 20世紀における隅田川の水質変化]
[図2 隅田川沿岸地域の人口と工場数の変化]
[図3 文学作品から見た1920年頃の東京の水質分布]
[図4 文学作品から見た1940年頃の東京の水質分布]
[写真1 まいまいず井戸(東京羽村)]

 

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